早朝、僕は準備をする。誰にも待たれてないある場所に行くために。その場所でむしろ自分を必要とする人を待つために。そこから、誰かの居るところへ行く為に、知り合いに会う必要が最初にある。

そして、次の場所へ彼女がどこかに導く。

(まあ、なんと云っても関係ないが古井由吉は、稀有な作家だ。山本周五郎には敵わないけれど、女性の本性をちゃんと書いているし、やさしい眼がある)

それは、人任せにする訳ではない。そう云う仲ではないのだ。むしろ、奮い立って向かう意志は此方が持す、彼女はおずおず案内をおぶられてするだけである。それであるらしい。

そして、二人でそこへ向かうのである。

僕はひとりでその危険から、身を守る。女には、自衛作用はない。言葉を獲得するプロセスが、ないからである。僕は、責任を持って、彼女らと共に精神を生きる。

この嗄れかけた肉体を捨てずに、だ。

(サマセットモームを読みながら、自分を励まして)

今のところはまだ、僕には生きる権利と義務が課せられている。つまり、死ぬ時期じゃない。外へ出て行かなければ。

 

チャリオットで、天空に駈け参じることは、出来なさそうな気配。

そろそろ死んでもいいが、神がそれを許さない。この地上で、平面上の人間と、もっと話せと云っている。天国も地獄も、僕には遠いらしいのだ。ここで肉体が自然にくちるのを、待つ。

与えられた時間は測れない。寿命が分かったって、それは絶命の瞬間の時計の針の場所を教えるだけだから。自分が今居る場所を、

過去や未来から、物差しで測っても、その位置は幻だ。時間は縮む。或いは、そして、延びる。

 

どこから来て、どこへ行くのか,それを問うな。

僕はここに居ればいい。

少しも、動かされないで、いればいいのだ。

図々しく、憎まれながら、しぶとくしたたかに、ここに存在するそれだけで、僕の足りない重みは増していく。

僕は本気で生きているからだ。じっとしていても。

脱け殻になりすましたりはしない。

死んだフリをしない。もう二度と、それをしない。

その決心だけで、生きている。生きている感覚があれば、いい。必要なのは、それである。

それに気付かなければ、どれだけの時間を掛けた探し物も、無駄と云うものだ。無駄なものが、見つかってしまう。今さら、見つかってもしようがない様なものが。

それは、子供の頃の宝物だ。だけど、今傍に置きたいそれは、違うものなのだ。

モノではない。事なのかも知れない。

事実。生きていると云う事。動いてる事。

聞いてる事。いつも、人の傍に居る事。

せめて、心が繋がっていれば、なあ。

どこか、不安なのだ。僕らは相手の存在に確信を持てなかったら、いけない。

中途半端な妥協はできない。そう云うゼロ百の厳しさがある。誤魔化せない。

友達なんか、ではない。最初から,出会いからそうじゃなかった。急に、互いが出会ったのだ。驚いた時にはもう気付いていた。

これは、中間が絶対にない関係なのだ、と。