僕は中学のころ凄惨ないじめにあった。あきらかなリンチだ。 そんなことをされるいわれはない。しかし、 おもいしらせたいのだ。おとなにどれだけかわいがられても、 おれたちがおまえをしなせてやる。なぜなら、ひいきだし、 そのくせ自力ではつよくないのに、あたまをさげないから。 この経験は僕を絶望させた。 自由意思で自殺しようとおもえばできるのだ。 こちらには生への執着がないから。あちらはある。 あるからこそリンチする。それを否定してはならない。 そうまでしていきたいのだ。後年冷静にこれをおもいめぐらした。 過去の自分にみはられてるような気がすると、にげられない。 もしおとうとがそうなれば、 僕が死んででもどうにかしなければならない。 なぜなら弟は清らかだからだ。 それにくらべておのれはすでにけがれきっている。 それはだれのせいでもない。 やられるとよわくなりよわいとやられる。そして、 自殺の危機がやってくる。 やはり魂とでもよぶしかないものでそこをこえるしかない。 だれのせいにしても身をほろぼすのだ。 自分のために記憶する必要があり、それは個人的な記憶だ。 苦労自慢はだめだ。それをすると、 かってに相手に編集されてしまう。つめがあまいのだ。 こころにしまうのだ。わすれてはならない。 やりかえしてもならない。際限がないからだ。