搾取を愛せる人たち

人というのは、愛そうと想うものは愛せて、そこにないとおもっている拘りや、人によっては偏執や、好意的になっていくと偏愛や、推しという、部分になる。

搾取をあいせる人には、色々いる。

この多様性、ダイバーシティ、そういうものを他にも列挙すると、そうラインナップという表現は的確かも知れない、ラインナップや、とりあわせや、群像劇みたいに多様なカラフルさ。それは脱線するには、オリバーサックスも持っていた。

1つは、ほんとうに愛しているひと。家柄や血統や自分の出自や親の収入を心から誇れるという、そういうひと。

2こめは、搾取には無自覚なひと。スクールカーストの上に居たり先進国から下請けを頼る、その際、実はフェアトレードに気をはらっていたか。こうなると、あてはまる人は(自然)多くなる。こういうのをヒエラルキーと言って、そこに居る限りナチュラルにそう、なっちゃう。

というのも、シリアスになりたいのは、ちょっと中断してこの、不思議なバリエーションを見てほしい。

こういう話題にシリアスになりたい気持は、理解しつつ。

3つめは、やはり弱者のおいつめられたねずみの状態。猫に対してかむともされる。肯定的にONE OK ROCKを考えてみても、例には面白いかもしれない。弱者のまきかえしみたいな曲は、すこしテイカーみたいな曲調を、持っている。石原慎太郎もちなみに書いているテーマ。

こんな風にまあ。もっとあっても、この3つは覚えとくと、いい。

差別心理よりちょっと、ライトに扱えるこの話題、是非興味を持ってみては。