僕は人間が嫌いだ。勿論、自分に象徴される、あのイヤらしさが厭なのだ。
動物的で、獰猛で、血なまぐさいあのライオンは、草食動物を喰らうけど、それは礼儀にかなっていて無駄を作らない。殺しといて、たべないみたいな人間の残忍さには、ことなるし、まあ可愛いもんじゃないか。神もそう思っている。
絶対てきなまちがいをしても、生命を奪ったりはしない,それが神の流儀だ。三好達治も神だけど、金子みすゞはもっとかみだ。
ぼくが困ったとき、祈って,神頼みをするとき、呼ばれるのは、強くない優しいけど倫理的に"厳しい"人なのだ。
自分を責める人なのだ。三好達治は。
そして、金子みすゞもそうなのだ。それは、他者を責めない為の,ギリギリの線で行われる精神の血を高貴に流す,戦なのだ。
くたびれたおれる。それが、救いなのだ。
だが、最後まで彼の生命は立っている。負けた訳ない。死ぬことだけだ。
この世からいなくなったって、無くなった訳じゃない。物質の消滅とは、決定的に違う,人間の死を死にたい。それを分けたい。
赤ちゃんは動物。大人は人間。
人間として死ぬ為には、成熟しなければならない。社会とは、関係なく、年齢とも関わりなくおとなとこどもは、違う。それだけだ。
大人になってから、死ねばいいのだ。