言葉にするという狂気について書く。

プルーストを読んだら、わかる。

川端康成でもいいし、中上健次でもいいし、

武田泰淳や、上田秋成三島由紀夫謂わずもがなだが,夏目漱石森鴎外でもいいのは、知れてることなのですが、しかし、

一番分かりやすいのは、日本では童話を作ったような人が~たとえば宮沢賢治金子みすずのような~海外では、[ぼくが知る限りでは、]

プルーストなのであるが、またそれは、問題そのものではないのであるが、それは

なぜかと問えば、切りがない。

稲垣タルホを読めば、いいのかな。ガルシアマルケスか。

いや、これは母語の問題である。

物語の物語と風景と、世界の形而上学的な切り貼りによる詩の成立?

 

いや、だがしかし、それは違う内容の話なのだな。うーむ。

 

分からないな。数学に似ている話なのだ。

文学は、そして、抽象化の極限に、他の経済学や科学と云った学問にも先んじながら、

進むのであろうがな。時流ではあるが、

僕はそれにくみしないのだが、。