いい事があると、この瞬間に死にたく、
ヤな事があると生きてることから、逃げたい。
今日はもう、終わりにしたい。眠りがあれば、夢があり、死があれば、命があった事。
それは何という事もない、出来事であった。日々あるそれは、善かった。あれは、悪かった。と今日も感じ過ごしながら、考えているだけであった事だ。
あの日から、僕は絶望の毎日を過ごすのであった。
悪いことがあれば、殺したい。楽しい時間があれば、そのまま、死にたい。

嫌な人間が居れば、この世から外に出たいし、
いい奴とは当然友達になれない。理由を補足するけど、それは自分がマトモじゃないからだ。
誰も、マトモじゃない。ぼくは、マトモな人間でありたかった。マトモで居させて欲しかった。が、まあ我慢しようか。
それは、この苦痛も終わる日が来るからである。
ついでにもう一つ謂えば、人生は苦だと云う考えを真正面から、生きたいからだ。僕は倫理だけを、自分に要求するからである。明惠は、マトモな人間だった。最近、そう思う事がある。
志賀直哉も、好きだ。
只普通の人間として、与えられた命を享受する生活がある。それは、失われたけれど、僕も知っていた事があった。

自分で生きているんじゃない。宿命だ。
そういう意識がある。倫理的だ。
本当の、顕教はここにある。
最近の人間は、自己へのマトモさを失っている。これは、確かな事だ。
証拠なんて、どこにもない事だが、みんな、そうだと思う。そう感じた。感じていること,感じたことは、決して黙過は出来ず、あとから逃げただけ、追ってくる。一度逃げたら、自分自身でなくなる事が直感や本能で分かったら、最初に苦しむんだろうが。
それは、出来ない。
誰も、本当にはやらない事である。倫理的じゃない。自己への真面目さがない。
自分をいたましいグロテスクなものにしてしまった後で、気付く。
それは、ある事実だ。
"人を喰って、人間の精神は肥り、もう人を喰う前には、戻らない事がある"

僕は、自己の倫理規範があった。
パウルと云うドイツの童話の登場人物だ。人を喰わないで、精神を作ることに伴う苦悩を、引き受けた人物だ。
勿論、架空の人物だが、立派な人間は、
そこにあった。

彼は、僕の理想の人間であれば、いい。
現実の人間である必要が、なかった。つまり、それは言葉であった。初めての事だった。
現実の必要が無かった。
それは、つまり、自分自身の人間としてのあり方を、彼に懸けたのだった。
周りの人間は、信用するには、不真面目すぎた。危うくて、我がままであった。
信用出来る人間になりたい。
まず、倫理的であることだと思うのだ。
僕は自分を擦りへらす。
この身体を流れる血液は、
蚊にぜんぶ呉れてやってもいいのだ。
これは、狂気ではない。正気だ。
蚊だって、生きているからである。
僕より、少なくとも、生命を諦めずに居る姿勢は、謙譲なものだった。
じつに、野生の野蛮な意思は、僕なんかより、立派なのだった。
生きようと生命は、あがく。
人間が生きる根拠を、失っている間にも諦めないのだった。当たり前だが、生命に対して、決して反逆を起こさないのだった。真っ当な、あり方をしている。
心の病気になるのは、人間だ。
前頭葉のおかげで。そして、たまたま頭が生き残りの必要の為、でかくはなったが、それに大した意味はないのである。
脳がこの世から無くなろうがべつにそれは良いのである。
生命が絶えた事には、ならないし、心配は空回りするだけだろうから、科学の倫理も無視して、まず与えられたものに感謝して謙譲に生きる事であった。
そうであった。心臓があったのであった。人間が忠誠を尽くすべきは、脈搏と呼吸であった。それを、倫理と言うべきなのだった。
けっして、それ以外のものではないのであった。
自分を、誰かの赤ちゃんが棄てられているのを見たときに、いたわり,慈しむ感情で、あやす事であった。
自分を癒さなければ、ならない。
どんな理論も、砕け散ったあとにも、自分だけは残るのである。

裁くのは神でも悪魔でもなく、ほかの人間でもなく内在する赤子なので在る。

自分を癒さなければ、ならないが、
人を喰っても、栄養にはならない事。
これが、大事だ、
本質である。癒される為には、命の源を、直視しなければならず、それは醜いグロテスクである。

そして、ぼくは死ぬまで痩せなければならぬ。人を食うことは、絶対にしないのが、掟であるからで有った。無意味な、長生きは願い下げだ。僕は、生きたいのであった。そして、無理な事なのであった。僕はあがくだろうが、不可能な事なのである。これまでも、あがいたからよく分かるので在った。骨身に凍みているだけだった。
自らの、穢さが見えることであった。
しみじみと、汚いんだった。世界の汚なさが己をよごしたようにある日感じたが、じつはそれは逆なのだった。
僕によって、全てはゲロの様に、汚くなった事である。そして、自分を殺したのだった。もう一度、ぼくは自分を殺すだろうがそれはいつの事だったか、カルマにでも聞いてみようかな。
生きていても、霊が死んでいることがあり、死んでも生きつづけるこころもある。できれば、どちらか一つを選びたくはない。が、敢えて選ぶなら、二番目を選ぶしかないのだ。僕はそうやって、諦めるのだ!だが、恥じはしない事だった。弱い事は、悪いことではないからだ。ただ、弱いだけだ。負けるだけだ。こぼれおち、はいあがれない位置にいるだけだ。そして、強者に踏み潰されるだけなのだった。嗚!
強くなろう、とは思わない!決して思わない!自己への倫理を持っているからだ!捨てたくないからだ!!弱さがあったら、財産なのだった。人間は、強くなろうとすればする程、脆くなるものだから、僕は諦める。
殺されたりしないからだ。魂までは。
時には、肉体が滅ぶかもしれない。
長い命の中では、それぐらいの事は、あるのだろう,それはそれでいいのだから放って置こう。亡びれば、済むのだったら肉体くらい、犬に呉れてやれば良い!
血は、蠅が吸えばいい
いいのだ。
これでいいのだ

メモ

つまり、俺はこれから死ぬんだ。

これから何という事もなく、当然の帰結としての終末を、選ぶのだ。

過去から現在、現在から将来に向けてすべてが覆い尽くされたこの包囲の世界に、懐かしみのようなものを、感じる。ここから出られないと思うと、何て此処は気持ちがいいんだろう。

暖かい。これは、錯覚だろ。

そう言い聞かせてもなんてふわふわした、この幸福であろうか。

とても脱け出せない。

 

すべてはデタラメ

汚いホームレス大好き、汚ければ汚い程。

 

意味もなく、そんな事書いてみる。

 

さて、あれはどこだったか。

いや、そこらじゅう津々浦々じゃぽんには、ホームレスが居るじゃないか。

そして、片端から声をかけた記憶がある。

 

どんな話をしたかって?覚えていないさ。

 

何しろ、傷のみせあいをするのに、その時互いが適任だったのだ。

もちろん不潔な舌で、いかな重症といえども

その傷口を舐め合っては、いけない。

覚えてはいない。忘れてしまったからだ。

 

と云う記憶のしかたをしたのか,それとも本当に忘れてしまったのか。

なんにせよ、いいや。バカめ。誰と、話そうと云うんだ。

 

どうせホームレスもアスリートも変わりゃしない。

 

不潔な,"肉体"と血で染まった、ちゃんばらごっこだろうか。

ああ懐かしい。

子供のころ、我々は誰しも自分を信じている。それは、自分の汗を信じているのだったか。それは!

いやはや。知らんさ。

その信じる心の導く先へ。

そして、ホームレスとお相撲さんができたのか。

僕は知らない。

 

臭い。別に気にしないことにした。たとえ、臭くても、それは僕も己が身を省みなければ、人の事をいえないものだろう。

 

だが、臭い。とっても、臭いぞう。

ああいい香りがする女の子は居ないかなぁ。というのは、ネタであり、

しょうもないギャグ漫画か、三流の漫才師をうけてのぼくのポーズだ。

本当に、気になるのは、ひとり。

いつも目の前の一人だけだ。それに、性別も社会も、当然のことながら法律も、ない。ありはしない。ある訳だ。あるわけないじゃないか。ともかく、主観的にないのじゃないか。ともかく、つまり、いわく、すべからく、世界中に、どうでもいいが、

世界も法律もあるらしい。なんたる事だ!

そんなウソをみんな信じるなんて!!

 

僕は言いたい。"人類も落ちぶれたものよのお"

 

そして、月に帰るのだ。UFOに乗って、ビルの屋上から、自殺の星へ。

僕はどこから来たんだっけ。

いや、火星じゃない木星だったかな。金星だったような感じもするけど、ともかく地球人を滅ぼす使命感に燃えて、産まれた当初、僕は人生に前向きだったのかもしれない。そうでないかもしれない。

 

全てはデタラメだ!

"素直な内心の声"とはこの通り

ともかく誰もいない場所に、来た。それに歩き疲れた時、目の前のものが歪んで、違うものに見える現象が、この場所の意味を、更にまた、消す。二重に意味が否定されたここは、当然どこでも無い。[意味付けられないその事が]

この場所の意味は其れだが。

不思議な何でもないことへ疑念をふたつ。

矛盾がないことは、当然では無い。

たまたまここに無いとしてもどこにもあるものだ。

ここに見えないとしても。(そうだろう三島さん。違うかい。見えないものも、あるだろう。ハッキリと存在する其れを知らなかったのかい。こんなことも訊いてみたい。また今度。)

 

矛盾なんて、そこらじゅうころがっているけれど、これは随分大層な規模の、矛盾だ、なぜかは分からないけど、これはいつもだれかを苦しめるテーマなんだ、そうまるで人の喜びにも悲しみにも個性がないみたいじゃないか。勿論、あるのだろうが。

それに、根拠を問わなければ、喜びも悲しみも苦しみもそこに在る。

問うてしまえば、その途端。

明らかな事実に、判然してしまうけれど。

客観的になんの価値もない、この独自の苦しさが大切なのは、ただぼろぼろと哭いたり無意味な時間をみて、己の身を馬鹿にして笑う

さもしいと云うか、この世に慣れ馴れしすぎる姿勢なのだ。

 

誰かは、時の摂理にひれ伏す。

また、ひとりは価値もなく嫌味な自分を苦にして、自分を殺したか。

また、ひとりがあらわれて、ここで台詞言うのが、劇的な幕開けだ。

彼はいう,"重要人物は総て死んだが生きるものの劇は現実につづいている。

その脇役たちの続きを追う気があるか。

そして、多数派の人間を除いたあと物好きな少数の観客だけしか、残らない劇場で、静かなまことしやかな囁きが残り、

そばだてた、それぞれの耳には聞こえている耳障りな、真実。

"大人の声にならない素直な内心の声"。

早朝、僕は準備をする。誰にも待たれてないある場所に行くために。その場所でむしろ自分を必要とする人を待つために。そこから、誰かの居るところへ行く為に、知り合いに会う必要が最初にある。

そして、次の場所へ彼女がどこかに導く。

(まあ、なんと云っても関係ないが古井由吉は、稀有な作家だ。山本周五郎には敵わないけれど、女性の本性をちゃんと書いているし、やさしい眼がある)

それは、人任せにする訳ではない。そう云う仲ではないのだ。むしろ、奮い立って向かう意志は此方が持す、彼女はおずおず案内をおぶられてするだけである。それであるらしい。

そして、二人でそこへ向かうのである。

僕はひとりでその危険から、身を守る。女には、自衛作用はない。言葉を獲得するプロセスが、ないからである。僕は、責任を持って、彼女らと共に精神を生きる。

この嗄れかけた肉体を捨てずに、だ。

(サマセットモームを読みながら、自分を励まして)

今のところはまだ、僕には生きる権利と義務が課せられている。つまり、死ぬ時期じゃない。外へ出て行かなければ。

 

チャリオットで、天空に駈け参じることは、出来なさそうな気配。

そろそろ死んでもいいが、神がそれを許さない。この地上で、平面上の人間と、もっと話せと云っている。天国も地獄も、僕には遠いらしいのだ。ここで肉体が自然にくちるのを、待つ。

与えられた時間は測れない。寿命が分かったって、それは絶命の瞬間の時計の針の場所を教えるだけだから。自分が今居る場所を、

過去や未来から、物差しで測っても、その位置は幻だ。時間は縮む。或いは、そして、延びる。

 

どこから来て、どこへ行くのか,それを問うな。

僕はここに居ればいい。

少しも、動かされないで、いればいいのだ。

図々しく、憎まれながら、しぶとくしたたかに、ここに存在するそれだけで、僕の足りない重みは増していく。

僕は本気で生きているからだ。じっとしていても。

脱け殻になりすましたりはしない。

死んだフリをしない。もう二度と、それをしない。

その決心だけで、生きている。生きている感覚があれば、いい。必要なのは、それである。

それに気付かなければ、どれだけの時間を掛けた探し物も、無駄と云うものだ。無駄なものが、見つかってしまう。今さら、見つかってもしようがない様なものが。

それは、子供の頃の宝物だ。だけど、今傍に置きたいそれは、違うものなのだ。

モノではない。事なのかも知れない。

事実。生きていると云う事。動いてる事。

聞いてる事。いつも、人の傍に居る事。

せめて、心が繋がっていれば、なあ。

どこか、不安なのだ。僕らは相手の存在に確信を持てなかったら、いけない。

中途半端な妥協はできない。そう云うゼロ百の厳しさがある。誤魔化せない。

友達なんか、ではない。最初から,出会いからそうじゃなかった。急に、互いが出会ったのだ。驚いた時にはもう気付いていた。

これは、中間が絶対にない関係なのだ、と。