ともかく誰もいない場所に、来た。それに歩き疲れた時、目の前のものが歪んで、違うものに見える現象が、この場所の意味を、更にまた、消す。二重に意味が否定されたここは、当然どこでも無い。[意味付けられないその事が]
この場所の意味は其れだが。
不思議な何でもないことへ疑念をふたつ。
矛盾がないことは、当然では無い。
たまたまここに無いとしてもどこにもあるものだ。
ここに見えないとしても。(そうだろう三島さん。違うかい。見えないものも、あるだろう。ハッキリと存在する其れを知らなかったのかい。こんなことも訊いてみたい。また今度。)
矛盾なんて、そこらじゅうころがっているけれど、これは随分大層な規模の、矛盾だ、なぜかは分からないけど、これはいつもだれかを苦しめるテーマなんだ、そうまるで人の喜びにも悲しみにも個性がないみたいじゃないか。勿論、あるのだろうが。
それに、根拠を問わなければ、喜びも悲しみも苦しみもそこに在る。
問うてしまえば、その途端。
明らかな事実に、判然してしまうけれど。
客観的になんの価値もない、この独自の苦しさが大切なのは、ただぼろぼろと哭いたり無意味な時間をみて、己の身を馬鹿にして笑う
さもしいと云うか、この世に慣れ馴れしすぎる姿勢なのだ。
誰かは、時の摂理にひれ伏す。
また、ひとりは価値もなく嫌味な自分を苦にして、自分を殺したか。
また、ひとりがあらわれて、ここで台詞言うのが、劇的な幕開けだ。
彼はいう,"重要人物は総て死んだが生きるものの劇は現実につづいている。
その脇役たちの続きを追う気があるか。
そして、多数派の人間を除いたあと物好きな少数の観客だけしか、残らない劇場で、静かなまことしやかな囁きが残り、
そばだてた、それぞれの耳には聞こえている耳障りな、真実。
"大人の声にならない素直な内心の声"。