水のむ女、髪を束ねる仕種、一瞬出来てたポニーテール、かなしい気持ちで眺めているのはなんだ、きっと修飾することへの絶望というものだ。感情かそれとも目の前の絶望的な光景なのか。
"現実に逆らってはならない。そういつも言い聞かす"。(けれど、遣る瀬ない感覚はあるし、なくなりはしない。)
顔を上げる。と、幻覚を見てたらしい。
それは、反則だ。だから、自重をつとめるけれど、むずかしいのは、むずかしい人だからだ。焦って、戸惑って、故障して直せないものを見ている。
彼はむずかって、大人なのに
子供じみた拒否の攻撃を時々外界へする。変わらないものを否定するべきでは決してない。
それがこの世の倫理なのに無理なのだ。
生理的な吐き気の発作なのだ。
うるさいのだ。外の煩わしさが心にまで入ってくる感じ。
"力で外へ排斥せねば、殺られる"。
そう思ったその瞬間、
時は遡って、あの少年時代の、記憶の中に、また新たな不快なものを掘り出す。
子どものくせに
"感情の整理ができない。できなくなってしまった。ショートでふいに頭の回線は、もうなおせない形にねじれて、僕はパニックになる。
勿論、こう云う時ポーカーフェイスを崩してはならない。更なる危険を呼び込むからだ。
自分で解決を探す必要がある。"
とかなんとか言ったりなんて、既に小学生にして余裕のふりである。マセた、小憎らしい餓鬼だ。
なぜだか分からないけど僕も水呑場へ駈けた。躓いた。顔を上げると、幻覚を見てたらしい、あのひとが居ないのだ。
あのひとは、何をしていたんだっけ、な。
水呑場でほんとうは何をしていたのか。
見た途端、消えてしまった。そう、正に夢か童話のように。
まるで、あれは鶴の秘密の機織りの作業のようであった。
そう、これは夢より夢のような現実なので、
しまつに終えないのだ。
僕は探す。
鶴のつもりで彼女は逃げたのか、羽がないじゃ無いか。
僕は、そんな考えにおちた。
自分でも、わからないくらい複雑でしかも役に立たない暗喩だ。
なんのほのめかしなのだ。惑わせようとしやがる。ここで一人称を変えた。
"俺は知らない。複雑なことは他にもあるけど、いつだって俺はやり過ごしてきたんだ。"
二つ目の人格を僕は使う。
自分を説得する事は、普通出来ない事である。
だが、やらなければならない。そう思ったとき、僕は自分というものを捨てて、俺に彼を説得するように言う。
さっきまで居た筈だが。"幻覚を楽しむ余裕は無い。"
そう思い、女を探すが、自分が誰かおんなはどこかもうわけがわからないな。苦しいな。
暑さに気付く。熱中症になりかけの自分が居た。水を呑もうとする。もう大分脱水症状だった。
実際、僕はそのあとに熱中症で倒れた。
うまく、水は喉を通らず、渇きはもはや段階がエスカレーションして、感覚の麻痺そのものになっていて、欲求が起こらず、死を受け容れるかんじで、よろめいたままブレーキを
使わず、後頭部を打っていた。
痛みは感じなかったが、ひどい怪我なのだった。
病室。まだ、夢の中に居る。意識はないけど、身体の醒めた感覚が残っているし、夢の中に居ることは、気付いてどうにかしようと、模索し、失敗している。
現実でも失敗ばかりの自分が、夢の中で苛立たしくリアルになまなましく迫ってくるので、思考回路は捨てて、せめて夢の中では自由にやろう、と感じる。
そして、目が覚める。現実から逃げることはできなかった。頭の悪い体の小さい自分が、
横たわってるここ、それは棺桶ではない、生きている人間が寝る場所、だ。
だから質(タチ)が悪くて、中途半端な苦わらいで、上や横から自分を苛めるしか無い。
冷房の利いたこの部屋。
暑くはない筈だし、汗は掻いていないのだから、おかしいのだが"窒息的な蒸し暑さ"だ。
精神がオーバーヒートしているのだとしたら、これは、夏の太陽のせいなんかじゃないんだろう。
熱そのものによって、精神の息が止められることはない。
暑かろうが、僕の肉体の呼吸は平常運転なのだが、何かが息苦しい。
たまに体は機械だと感じるのは魂が息の根を抑えられてても、からだが動いているこういう瞬間だ。
"そういうのが続くのが、人生なのだとして、僕はそれを続けられないだろう。だから、生まれてきたことの恩寵も忘れはて、陰気な観念の地下牢で自殺について考える。"
なんつって。
まるで、昔のぼくのようなこの人は誰なのだ。
答えは簡単だ。文学青年というものが居て、それなのであろう。
"少年"のように、抽象的な言葉だけど、"文学青年"も"少年"同様、認識せんとする人によって居たりいなかったりするイデアのような、ものなのだ。あるのだ。そして、絶対に見えないのである。
"それは記憶できないが、そのものを生きることは出来るものなんだ。"
酔生夢死。
自分が相手になってる。もう相手が自分になっている頃だ。
だから、もう生きることの連帯責任が生じている。
孤立した人間では居られない。
ぼくは人の渦の中心にいる。
人が多くて、視界は充分には見えていない。
音の鳴り方が方向を決める。
先は見えないけど、方向が正しければ、目的に向かっているということなのだ。